テーマ:父の思い出

虹のむこう 最期の言葉

 父は4年前の4月に酔っ払ってアスファルトに頭を打ち救急車で脳外科へ運ばれ、そのまま回復することなく寝たきりになったのだけど、その1ヶ月前、3月に父から母へと予期せぬ言葉があったという。  それは父が母にちょっと座ってくれと言い、改まってこう言ったのだそうだ。 「サチ江(仮名)、こんな俺と結婚してずっと一緒にいてくれてありがとう…
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虹のむこう 草取り

 これも住職が教えてくれたのだけど、父は倒れる数年前からお寺の草取りを始めたのだそうだ。その草取りは以前、他の檀家さんが自主的にやっていたのだけれど、その方が亡くなったので後を父が引き継いだ。  はじめはどうして他の檀家さんたちはやらないのだろうと腹を立ててた父が、いつの日か「自分は草取りをさせていただいてる。なんて有り難いことだろう…
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虹のむこう 父が会わせてくれた人たち

 8月の終わりに父の四十九日の法要があった。親戚を始め父母の古くからの友人など10人ほどが集まってくれた。中にはお通夜の夜に数十年ぶりに再会した叔母もいた。数十年会ったことのなかった親戚に2ヶ月続けて会うのはちょっと不思議な気持ちがする。これはみんな父が引き合わせてくれたのだと思う。  ボクには4つ上の兄がいるのだけど、兄とも2〜…
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虹のむこう 母の楽しみ

 母は父が入院している病院にほぼ毎日歩いて通っていた。片道1キロちょっとの道のりを雨の日も雪の日も、一年360日くらいは通っていた。  そんな母に対し叔母や母の友だちは 「あんた、毎日毎日偉いねえ。私には到底できないわ」 と何度も言われていたという。 母は 「これは私の仕事だと思ってるから、どうってことないのよ。仕事なら誰だっ…
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虹のむこう 月命日

 9月の月命日の翌朝も父の夢を見た。ボクは実家にいて季節は3月。 父がボクに声をかける。 「koji、明日一緒にスキー連盟の納会に行くか?」 カレンダーを見ると明日は12日、土曜日だとわかる。 スキー連盟の納会とは、滑り納めのこと。ちょっと早くない?まだまだ滑れるっしょ。と思いながら、スキー場はルスツ(リゾート)かと聞くとそうだ…
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虹のむこう 夢に現れた父

 父の月命日の夜、夢を見た。  ボクはとても広い公園、まるで夏のスキー場のようなところにいて、テニスコートと青々とした芝生の広場が見えた。そこにボクは高校時代の友だちの車で来ていて、隣には父の車もあった。  急に雨が降ってきたからロッジで雨宿りしていると、いつの間にか友だちとはぐれ一人になった。やがて雨が上がると、ボクはテニ…
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虹のむこう 一番孫

 親戚の誰かが亡くなり、通夜の夜になると決まって出る話がある。それは兄のことだ。  長男の父と長女の母が結婚したので、兄が一番孫になった。  春三さん(ボクのじいちゃん)は、金物の職人でけっこうな堅物だったらしいのだけど、初孫のかわいがりようと言ったらそれはそれは強烈だったという。  母には、2人の妹と3人の弟がいて、すで…
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虹のむこう 父と母とのなれそめ

 父と母は昭和35年5月15日に結婚式をあげた。当然、この日が結婚記念日だ。  父は昭和9年に北海道で生まれ、11歳で終戦を迎えた。父は幼少期の頃を多くは語らないが、中学もちゃんと卒業できていなかったらしい。若い頃の父はとにかく仕事があるならなんでもやったと言ってた。肉体労働も相当やってたらしい。つまりは貧乏だったわけだ。あるとき…
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虹のむこう 母のサポート

 父は母のことが大好きだった。そして母も父を愛していたと思う。その証拠に、父が入院してから母は、ほぼ毎日病院に歩いて通っていた。片道1kmちょっとの道のりは、母のウォーキングにはちょうどいい距離だったようで、母は少しずつ元気を取り戻していた。  実は、父が倒れる少し前に母は体調を崩して顔面神経痛になって入院し、やせ細っていた。そん…
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虹のむこう ハラハラ・ドキドキ

 住職は昔、一度だけ父と一緒に札幌の円山球場(当時)に野球の巨人戦を見に行ったことがあったそうだ。  当時(日ハムが北海道に来る前)、北海道では圧倒的に巨人ファンが多く、円山球場はほぼ巨人のホームグラウンドと化してた。  バックネット裏に陣取った父と父の仲間たちは、酒も入っているから、それでなくても地声が大きい父の声は余計に大き…
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虹のむこう ほかの人には優しい人

 父が亡くなった後の通夜の前後や告別式の前後、生前の父と親しかった人たちに声をかけられた。 「お父さんには大変お世話になったんですよ」 うん、これはうれしいし、ありがたい話だと思う。 「お父さんにね、優しくスキーを教えてもらったの。お父さんのおかげで私はスキーを滑られるようになったんだよ」 おお、そうか。 やっぱりそう…
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虹のむこう 涙と笑い

 今年の7月、父が虹のむこうに旅立った。せっかくなので、葬儀の前後に起きた印象深いことを記録にとどめようと思ってる。  父は昔から地元のお寺の住職と友だちで、そのご縁からお寺の事務の仕事を無給で手伝っていた。住職は30年以上前に早世し、紆余曲折あり三男がお寺を継いで住職となった。ボクと今の住職は親どうしの縁で小さい頃は家族ぐるみで…
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