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プロフィール

プロフィール
ブログ名
ちょっとホッとするコラム(略してホッコラ)
ブログ用ニックネーム
koji

自己紹介

ボクは1966年3月に北海道室蘭市の病院で生まれた。
最寄りの駅は「母恋」という。
母が恋しい町、かな。
なんとももの悲しい響きがある。

ボクが住んでいた町は登別温泉がある湯の町、登別市。
その中にある幌別という静かな住宅地。

ボクには4つ上の兄がいて、父と母とばあちゃんもいた。
ばあちゃんは母の母だ。

ばあちゃんはボクが小学校に上がるとき、ばあちゃんの姉のところに引っ越していった。
まだ幼かったボクは、その訳を聞かされておらず、本当の理由は今も聞いていない。

幼い頃のボクは内気で人見知り。授業では全く手を上げられない子どもだった。
背は小さくて、いつも一番前。前へ習え、をするときはいつも右肘をくの字に曲げていた。
運動は中途半端。唯一算数は得意だったけれど、手を上げられないのは同じ。
作文や絵も苦手。

それにボクは夢のない子どもで、大人たちに自分の夢を聞かれるのが苦手だった。

そんなボクでも中学に入ると少しは積極的になり、サッカー部に入る。
自分でも、このままではいけない、という意識が少しはあったことを覚えている。
高校生になると友達ができて麻雀を覚えたり、片思いの女子に告白して、フラれたりもした。

高校3年生の夏休みが終わり、国立大学の受験を決意。遅すぎる決断。
訳は授業料が安いから。
父は郵便局員で全ての転勤を断ってきた人。
態度はデカイが給料が高い訳はない。

やっかいな共通一次試験を受け、なんとか地元の工業大学の夜間部に滑り込んだ。

高3の夏には好きな人ができて受験勉強の最中に告白したけど、ビミョーにフラれて、なんとなくそのまま。

でもしつこくアタックを続け、19歳の時からお付き合いを開始。

1989年、バブル入社組。
埼玉県にある製造メーカーに入った。
そして彼女と婚約。
けれど埼玉と北海道の遠距離恋愛は長く続かず、翌年に破局。
婚約破棄という最悪の結末。
失意の20代を過ごす。

会社に入って10年がたち、33才で結婚。
ツマは昔婚約破棄をされた相手。縁があって31歳の時に再会。
振り返ると婚約から結婚まで10年かかり、やっとふたりでの暮らしが始まった。
けれど、当時のボクは出張が多くて仕事も忙しく、組合活動もやっていたので、休みは少なかった。

ツマはひとり北海道から、誰も身寄りがいない埼玉県へ嫁いでさぞかし寂しかったろうと思う。

その後、結婚から3年がたって、待望の長女が誕生。
そして1年半後には長男が誕生。
あわただしくも笑顔がいっぱいの毎日を送ることになった。

会社では初めてリーダーになって、自身が毎週発行する【週予定と実績】に「今週の独り言」を載せたのがボクの物書き人生の始まり。

「今週の独り言」

は5年間続いたけれど、その間に会社内の環境は変わり上司も代わり、ちょうど250回で終了。

その代わり、ではないけれど、このブログ「ちょっと幸せになれるコラム」誕生。
1年後に「ちょっと幸せを感じるコラム」に改題し、2013年には「読むとちょっとホッとするコラム」に改題。
そして、2014年の3月末に丸5年を迎えました。

ブログを始めた訳は、幸せは探すものではなくて、感じるもの、気づくものだと気づき、それを誰かに伝えたいと思ったから。

世の中では、幸せを探そうとしている人たち、幸せを誰かから与えてもらおうと考えている人たちが多いように感じたから。


ボクは32才の時、お付き合いしている彼女に言いました。

「オレは釣りバカ日誌の浜ちゃんの言葉が好きだ。
君がボクと結婚して幸せになれるかどうかはわからないけど、君と結婚できたらボクは幸せなんだ。
だから結婚して欲しい」

って。

それは、今も変わらない。
ツマと一緒に暮らせるボクは幸せ。
でもツマが幸せかどうかは聞いてみないとワカラナイ。

そのツマとの間に恵まれた子どもたちの存在もボクの幸せ。

だから、そんな当たり前の幸せに感謝しながら、フツーに暮らしているボクの日常にあったことをちょこっと切り取って、ちょっとだけ幸せのお裾分けをしたい。

内気で人見知りで背もちっちゃくて作文が苦手だったボクでも、なんとか就職できて、全然女の子には持てなかったけれどなんとか結婚もできて。
こんなボクでも幸せに気づけたんだから、きっとみんなにも幸せの道があるはず。
とボクは信じたい。

そんな思いから、このブログを続けています。


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